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おそろしい映画 [日々の思ひ]

2010年8月10日のおはなし。

7年ぶりに映画を見ました。
正確には6年8ヶ月ぶり、って大差ありませんね。

もともと実写のフィクションがあまり好きぢゃないので、
テレビのドラマや劇場作品のオンエアも、家の誰かが見ているのを通りがかりに断片的に見る程度で、
劇場まで行きたいことって殆んどありません。

ちなみに7年前に見たのはコレ。 2003年に日本初公開された1990年作品。
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やっぱり実写フィクションではありません。 で、今回見たのはコチラ。
チケット・プログラム

どしても見たい映画が、この夏だけでなんと2本も有り、なので勝手に2本立て。

この時空の中でひとはどう 「生きる」 べきか? 静かに問われ続ける計3時間あまり。
見たい映画を見ただけですが、このハシゴは大正解でした。


まずは 【老人と海 ディレクターズ・カット版】 9:50~11:30 テアトル新宿にて

1990年/シグロ作品(2010年D.C.) 監督 ; ジャン・ユンカーマン。
冗長な説明と、プリミティブな 「海」 へ意識誘導を妨げる闘牛シーンをカットして、
ほんの少しだけ短くなった20年周年記念版。

ヘミングウェイの名作小説を、舞台を日本の与那国島に移し、脚本無し、演技無し、リハーサル無しで映画化。
プロの俳優を一切使わず、出演者は全員島の一般人、しかも全員本名で本人の役で出演。
ようするに 「ドキュメンタリー映画」 です。

エンジンこそ積んでいるけれど大人ふたり並んで座れない昔ながらのサバニを操りカジキを追う、
82歳の漁師のものがたり。

「生きる」 ことの意味を正面から、しかし淡々と問う映画です。
本音を隠し建前かざり、要領よく世渡りするのが賢い選択と考えて、
カラッポの命をうすっぺらく演じている方に、この映画は理解できません。
ってことは、本当に見るべきは、そうゆうふうに生きている方ですね。

顔のアップやロングのカットが多くて、半身ぐらいのショットがもっとあると、さらに迫るモノがあったかも。。。。

海へ還ったじいちゃんが乗っていたサバニは今、与那国島の久部良公民館に展示されています。

さあ、ほんものの 「命」 に逢いに、映画館と与那国島に行かなければなりません。
これは現代に生きる 「まっとうな人間」 に課せられた義務です。

さて、『老人と海』 が終わり、次の映画館で座席をリザーブ。

2本目、借りぐらしのアリエッティ】 15:30~17:15 新宿ピカデリーにて

2010年/スタジオジブリ作品 監督 ; 米林宏昌  言わずと知れたジブリの新作。

恐らく、 「まんが映画」 とゆう呼び方が廃れて 「劇場用アニメ」 とか 「アニメ映画」 と呼ばれ出した頃から、
アニメで伝えるべきもの、アニメでならば伝えられるものについて、
作り手も受け手も認識が変わってきたと思います。
そうした時代の趨勢から外れて、いまだ古いタイプの 「まんが映画」 の認識を持ち続けている方にとって、
これほどつまらない映画はありません。

ま、ナウシカ (これはジブリ作品ぢゃないけど) 以来ジブリ作品はみんなそうですけれど。

ジブリ作品の特徴の一つである 「作画の美しさ」 について、当ブログ管理人は常々、
家庭の小さいテレビで見ると色もカタチもゴチャゴチャしすぎて却って煩わしいと感じており、
劇場の大画面で見る映画と認識していましたが、リアルとメルヘンのバランスがなんだか微妙で、
映画館で見たいと思ったのは、『猫の恩返し』 (リアル2 : メルヘン8) に続いて2作目でした。

で、今回のは、リアル8 : メルヘン2。

「生きる」 ことの意味をやんわりと問いかける映画です。
(以下略

これまで以上の大人アニメですね。
小学校高学年以下では何がいいのかワカラナイでしょう。
いや、それ以上でも理解できるか否かは当人次第ですがね。。。

ずいぶん前に聞いたはなしでは、宮崎駿さんは 『方丈記』 をアニメ化する夢をお持ちらしいので、
こども向けアニメを作る気は、はなっからないのでしょう。

ひとりの中年女性が、絵に描いたような (絵で描かれてますけどw) ヒールとして登場します。
物腰・表情のつくりかた・発言・行動、すべてが狡猾で傍若無人。
映画は、そんな人物像を冒頭の自動車の止め方で直感的に伝えます。
この女性の食事を執るしぐさは、ほんとうに 「醜悪」 の一言です。
しかし、最凶であると同時に、「ごくふつうの人」 なのです。

そして、ひとりの少年が登場します。
彼は無知ゆえの短慮と残酷さをそなえ、ためらいなくことばを発し、また行動に移していきます。
それは良く言えば 「度を超えた純粋さ」 であり、それゆえに主人公に味方することになりますが、
その意識の変革には、少なくともあと20分、何かエピソードが必要です。
この映画は、少なくとも、もう20分長くなければいけません。

もうひとり、初老の女性が登場します。
彼女は、一見良識と善意の側にいますが、
誰にも肩入れしない徹底的な没干渉・傍観に徹しており、決して理解者でも救護者でもありません。

この三者のあいだで追いつめられて行く、ひとつの家族のものがたりです。
だんごむし、かわいいです。

同族と他者、自然と人間、雇用者と使用人、独占と共有、
挑戦と諦念、近代文明と原始文化、
敵意と過保護、積極的接触と没干渉、短慮と狡猾、偽善と脅威、
エトセトラ、エトセトラ、

単純な二極対立を積み重ねて複雑に絡み合った物語の主題が表現されています。
もはや多くの人間は、この映画が投げかける問題を解決する術を失っているかもしれません。

なんだか原作の書評みたいですが、小人シリーズ全部読んでて記憶が混ざっているので致し方ありません。

あえて一言いうなら、
そもそも物語の舞台を日本の小金井に移しているのですから、
も少し料理しても良かったように思います。
「足りない20分」 として、原作にはないエピソードを追加するとかね。

ともあれ確かに 「今」 は、この映画を作るべき時代です。

さあ、行きたいけれどまだの方はもちろん、
↑を読んで見る気の萎えた方も、もともと行く気のなかった方も、
ある意味 「押井節」 以上に 「重い」 アニメです。 映画館へ行きましょう。


どなたかこの 「恐怖の二本立て」、真似してみませんか? 決して損はしませんことよ。



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敗戦記念日に寄す [日々の思ひ]

銃の国の自由を許すな。

「戦争に勝つ」 ということ。
それは相手に戦闘を維持できないほどの被害を与えること。
相手が戦闘意欲を失うほどに加害すること。
そして戦争に勝ち、被害者となって敗戦国を牛耳る。

「戦争に負ける」 ということ。
それは、このまま戦闘状態を維持できないほどに加害されること。
戦闘意欲を失うほどの被害を受けること。
そして戦争に負け、加害者となり戦勝国に蹂躙される。

なんだか矛盾していないか?

新型爆弾をぶちまけた鬼畜邪道国家は今日も世界のあちこちで、
自分勝手な正義を振りかざして残虐非道を繰り返している。

銃の国の自由を許すな。

一体いつから 「空襲」 を 「空爆」 と呼び代えたのだ?

テレビやラジオも、あの戦争を顧みるのはこの時期だけ。
空爆で命を落とした非戦闘民は全国各地に眠っている。
たとえその実態が、
日の丸を振って心から兵士を送り出した戦争推進派であったとしても、
それぞれの日に、この国の民は、
今のこの時期ほど戦争を振り返ることはない。

わずかな装備で突撃を敢行し、 「玉砕」 と謳われたた兵士たちも、
大本営に見捨てられて時間稼ぎのために無駄死にを強いられただけだ。
前線を知らない軍部のお偉いさん達に利用されたに過ぎない。
そうした戦闘計画の過ちは顧みられることなく封印されて、
ただ感傷的な自虐史観の下に、敗戦国の汚名を甘んじて受けている。

反省すべきは反省せねばなるまい。
しかし、傲れる者の慢心は決然として糺さなければならない。

銃の国の自由を決して許すな。
銃の国の自由を決して許すな。

AKB48! [日々の思ひ]

事もあろうに日本相撲協会が、公益法人化を目指しているんだって?!
一般財団法人なことだけでも変なのに、
まさかそこまでおこがましいとは、思いもしなかったよ。
なんとゆう守銭奴。。。。

公益性のカケラもない拝金主義集団のくせに、
さすが非常識組織。 まさに反社会的思考。

あんなのより、
AKB48を公益財団法人にしよう!

そのほうが、日本は今よりずっと元気になる!

有権者のみなさん!
日曜日の参議院議員選挙では、
それをマニフェストに掲げる政党・候補者に投票しましょう!

とか言ってみるテストwww


ちなみに当ブログ管理人は、AKB48 よりも smileage派だったりして。。。。




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新社会人たちへ [日々の思ひ]

学生時代、いっぱい遊んでいっぱい勉強しましたか? 思い残すことはありませんか?

運良く第一志望に就職できた方は、もちろん就職活動中には面接官の前で意欲的なこと言ったんでしょうね?
それで就職できたんだよね。
連戦連敗で第何希望かもワカラナイ企業にようやく入れた方も、「こんなクソ企業オレが変えてやる」 ぐらいの意気込みを今は持っているのかな?

こんな時代に就職できたことにまずはおめでとう、と言いたいところだけれど、

ようこそ余生へ! ご愁傷さま。

さて、
一般社会にはメンドクサイ奴がいっぱいいます。

そんな連中の中でも上位にランクインする鬱陶しい奴が、「ジャイアン」 です。 「俺の物は俺の物、お前の物は俺の物」 の名セリフで有名な、名作まんがに登場する、あの 「彼」 。
ただし、年齢は50歳以上ですけれど。。。

鼻糞をほじる程度の能力しかないウゼえジジイのくせに奴らは、「俺の手柄は俺の物、お前の手柄は俺の物、俺のミスはお前の物」 という最凶アレンジヴァーションのジャイアニズムで襲ってきます。


どーする?

「やってらんねェ」 とキレますか? ネットにさらしますか? それもいいけれど、ちょっと視点を変えてみませんか?

クソジジイどもにも、新人時代はありました。 就業意欲を持って、あるいは 「こんなクソ企業オレが変えてやる」 ぐらいの意気込みを持っていた日が、あったハズです。たぶん。

大きな仕事を仕上げるのはもちろん、重大なミスでも華麗に処理してクライアントから大逆転の絶賛をもぎ取れば、ただ上手くやっただけよりずっと評価は高いのに。

今のジジイどもは、そうゆう意欲も野心も情熱も、すっかり忘れてしまった可哀相なひとたちなのです。
それか、力が無くてもそこそこ仕事になっていたバブル期が去って、もともとダメダメなのがバレるのを隠しているだけのオワッテルひと。

いろいろ残念なひとたちなのです。
どうか生あたたかい目で小馬鹿にしてあわれんであげましょう。

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ちょっと未来の食品 [日々の思ひ]

当ブログ管理人の家には、「最寄り駅」 と呼ぶべきものが2駅ある。
それぞれ別の会社の別路線なので、行き先に応じて使い分ければよいが、
商店街を持つのは片方だけなので、買い物となるとそちらへ向かう。

この駅には、駅前に2軒のスーパーがある。
ひとつは駅の北側にある鉄道系のスーパー、もうひとつは南側の百貨店系のスーパーだ。

この南側のスーパー、いまはD百貨店系だが、かつてはT百貨店系だった。

このT系スーパーが酷かった。

当時は、製造年月日と、賞味期限を 「製造日から~日間」 と表示する時代だったが、
4~7日先の製造年月日の物をごろごろ売っていた。

3月16日に、3月23日製造のヨーグルトが手に入る。すげぇー。

製造年月日表示が何もアテにならないとしたら、
たとえ今日の日付が書かれていても、お肉やお魚、お野菜の鮮度は大丈夫だろうか?

仏教では、 「色即是空 空即是色」 と言って
「“存在する”ということは“無い”に等しく、“無い”という状態は“存在する”のと同義である」 と説くが、
いまだ生み出されざる商品が存在するとは、なんとも哲学的。

おもしろかったのは、パートタイマーのおばさんたちの行動。
彼女たちは、お仕着せのエプロンをはずした途端に、家庭の主婦に変身し、
考えることは、家族の健康と家計の節約。つまり安全と安価。

ウラ事情を知っている彼女たちは、いわばもっとも厳しい消費者モニターだ。

このT百貨店系スーパーのパートタイマーさんたちは、
みんな北側の鉄道系スーパーで買い物をしていた!

後から聞いたが、アルバイト・パートの従業員は雇用証の提示でなんでも定価の2割引きで買えたらしい。
それだけ安く買えるのに、買わないということは・・・・

こどものころ、漫画雑誌を発売日前に売り出す店を探して買ってきて、
何日前に手に入れるか競っていたクラスメートの一派がいたが、
製造日前から店頭に並ぶ食料品は、どこから来たのだろうか?


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いきものの命について [日々の思ひ]

毛皮のコートはお持ちですか? 牛革のバッグはお持ちですか?

牛のお肉たべますか? お魚たべますか? 鯨たべますか? 鶏肉たべますか?


えっ、ベジタリアン? 野菜しかたべない? なるほど。

はぁ、他の生き物の命を奪うことを許さない宗教を信仰している? ほほぉ。
ナチュラリストだから、ほかの生き物の死体はたべない? ふぅーん。
牛乳も、牛のためのものだから、牛から横取りするなんてとんでもない? あ・そうなんだ。 

なかなかご立派な思想をお持ちですねぇ。


でも、あなたのたべているその野菜、もとから命のないものですか?

ホウレン草も菜の花も、活けておけば、花、咲きますよ。
根菜なんか、植えれば芽がでますよ。 

バラバラに切り刻まれてスーパーに並んでいる牛は死んでいるけれど、
お野菜は、キッチンに来てからも、バラバラにされる直前まで生きてますよ。 

生き物ですよ。

タイやヒラメの活き作りと、千切り大根のサラダとでは、やってることは全くおなじ。


ねぇ、他者の命を奪わなくても生きていけるって、ホントに信じてるの?





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すっぽんは食べるべきか? [日々の思ひ]

かめ好きさんにとって、すっぽんを食べるか食べないかは大問題。

「かわいそう」 といって食べないのは簡単。そのほうが財布も助かる。 でも、

養殖のすっぽんの場合はどうだろう。

生きたままで取り引きされるすっぽんの出荷時の荷姿は、
多くは十文字に縛り四肢を出なくしてみかん袋みたいなネットに一匹ずつ入れ、段ボール箱に並べられる。

捌かれるまでそのまま、もちろん一切飲まず喰わずでいる。

生きているのだから、少しずつ、痩せてゆく。弱ってゆく。

当然ながら、だんだん商品価値は下がり、一定のラインを下回れば、処分される。
人間に喰われるために生かされてきたすっぽんが、その任を全うすることなく、産業廃棄物にされるのだ。

人間の都合で生まれさせた生命に、役に立たなくなれば人間の都合で無駄死にを強いる。

これはあまりにも人間の自分勝手ではないか? いのちに対して無責任だ。

喰われるために生かされてきたすっぽんさんの生命を慈しみ、
感謝しつつありがたく残さず頂くべきではないか? 

生命を深く愛おしむ気持ちとは、時にはそういうものではないかと思う。 



天然のすっぽんだったら、それはまたぜんぜん別だけども・・・・。

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偏見と差別に関する断章 [日々の思ひ]

犬を飼っているひと、また犬モチーフのグッズを収集しているひとに、
「なんで犬なの?」と尋ねるひとは、まずいない。
猫でもウサギでも同じ。たぶんインコとか文鳥とかでも。

「好きだから」 「かわいいから」 に決まっている。
個人がペットを飼ったり、ものを収集するのは、とりあえずそれが 「好き」 で 、「癒し」 を得られるからだろう。
そこに後付けでいろいろ理由をくっつけるひとはいるけれど。

ステイタスとか自分への箔付けで何十億もする絵画を買うひとも、やっぱり多少は 「好き」 なのだと思う。
邸内警備のために飼うドーベルマンは、、、あれはペットとは違うから、好きではないのかも知れないが・・・・。


しかし、これが爬虫類となると状況はガラリと変わる。なぜ?

装備を揃えてまで日本の環境に合わない外国産種のカメやトカゲやヘビのお世話をするひとも多いのに、
好きぢゃないなんてことがあるハズがない。グッズ収集も然り。

それなのに「なんでカメ?」 と、まるで異常性格者でも見るように平然と問いかけてくる。

これは明らかに偏見だ! 差別だ! 人権侵害だ! 所轄当局に訴えよう! ってどこへだ?


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