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ブンヤの文才について [最近のニュース]

我が家で購読している新聞には 「からむニスト」 と題するコラム欄があるのだが、
先日、変な文章が載っていた。

2010年3月23日火曜日・東京新聞朝刊14面。
当回のタイトルは、「鳥越俊太郎のコメントに共感」、署名は「仕分け人」。

内容は、3月13日未明に起きた札幌の高齢者向けグループホーム火災に関して、
テレビの報道番組における鳥越俊太郎氏の発言を評価するものだが、
文章前半、第2段落冒頭におかしな記述があった。以下、引用。

   グループホームは高齢者/の共同生活の場といわれる/が、実際は入居者の認知度/は高くその体をな
  していな/い。 (紙面上では「/」で改行)

 ?????

文中の 「入居者の認知度は高く」 という表現は、「グループホームの意義・役割について入居者は充分に良く認知している」 という意味になる。文章構造の上から見てそれ以外の解釈はできない。
施設の意義が良く認識されていれば、ホームは十全に機能するはずだ。おかしい。

上記の引用に続き、
  
  当初は軽度でも認知症/は進む。 (紙面上では「/」で改行)

とあり、ここではじめて 「入居者の認知度」 とは 「入居者の認知症の症状」 の意味だと判る。
「入居者の認知症の症状は重く」 あるいは 「入居者の認知症度は高く」 と書けば、とりあえず誤解はないのに、ことばが足りない。省略が不適切なのだ。

そもそも 「認知」とは人間の心的および知的な情報処理過程全体を示すことばなので、
「認知度が高い」 といえば 「認知されている度合いが高い」 の意味以外に有り得ず、
「よく知られている」 の意味になる。

それに加えて、認知症には 「要介護度」 のように症状の軽重度を測定する指数・ランクが定まっておらず、
認知症の進行度を 「認知度」 と表現すること自体が不適切で、広範に汎用されているようでもない。

「認知症度」 「症状」 「認知度」 などの表現が混在しているのが現況のようだが、
「重度の認知症」 「症状の進んだ」 とは言うが 「認知度が重い」 とはあまり言わない。

奇妙な省略のせいで全く別の意味の文章になっているのに、ことばのプロの筈の新聞記者が気づかないとは、
その言語感覚もずいぶん落ちぶれたようだ。
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